2023年10月25日 第16号 「イラク開戦前夜」と「ガザ侵攻前夜」(再)―我々はなぜ同じ失敗を繰り返すのか―

1 “前夜”の意味

 私たちは,何か大きな行動を起こそうとするときは,その結果を予測する。つまり,「次に何が起きるか」ということである。

 その行動が世界の安全保障にストレーストにかかわるものであれば,より一層そうである。ましてや,それが大規模軍事行動=戦争であれば尚更のことである。

 その際最も重要なことは,「こうすれば,こうなる」という純粋な“因果の予測”であり,それはその行動に“大義”や“正義”があるかないかという判定とは全く別次元の問題だということである。

 人は,しばしばこれを混同する。“開戦前夜の熱狂”は,人々をしてその基本的区別さえ出来なくさせる。冷徹な眼―どころか,少しばかりの知性さえあれば容易に予測出来ることも,出来なくなってしまう。その最も深刻な例が2003年3月20日のブッシュ大統領のイラク開戦“前夜”である。

 私は,淳Think2003年3月18日号外(「イラク開戦前夜にあたって」)

「しかしながら,このような“ブッシュの戦争”の目指す「正義」が実現されることは永遠にないだろう。それどころか中東ひいては地球全体が,更なる混迷と不安定へと導かれ,我々はまた安全保障上の一層の危機の持続という大きな代償を支払うことになるであろう。」

と述べた。また,

「“ブッシュの戦争”は,今後10年,20年と経過するなかで新たにどんな世界をもたらすか。それは,このような「イスラエル対パレスチナ」の安全保障上の極度の不安定状態が「米・英(・日?)対中東・イスラム世界」という形で全世界的規模・地球的規模に拡大するということである。」

と述べた。更には,

「テロの温床は絶望的なまでに拡大し,世界は止むことのない潜在化または顕在化した安全保障上の危機に直面することになろう。」

とまで“断言”した。

 果たして,その通りになった。「テロとの闘い」が「テロの温床を絶望的なまでに拡大させる」という,なんともやり切りぬ苦境に我々は陥った。

 何度も繰り返していうが,それは“9.11テロの報復”に大義や正義があるかないかということとは全く別次元の問題であり,純粋に“因果の予測”の問題である(全く無関係とまではいわないが。)。

 では,何故,このような失敗をしたか。それは極めて単純である。ブッシュ大統領ないしアメリカのリーダーたちが「中東・アラブやイスラムの世界」というものを知らなかったからである。しかも,たんに“無知”であるというにとどまらず,知ろうとさえしなかったということでである。

 私とて,中東・アラブやイスラムの専門家でもなんでもない。ただ,今だから言うが,私が1988年末から中東・アラブ世界を訪ねるようになったのは,たんに“西洋文明の来し方と行く末”を不遜にも見極めたいという願望からだけではない。もうひとつ秘かな期待があった。それは「戦後日本の平和」のもとで育った私にとって,絶えず“戦争と動乱”のさなかにあるこの世界の現実を見極めたいという気持ちがあったからである。

 もちろん,その頃の私は,国政に打って出ようという気持ちはさらさらなかったが,政治家の最も基本的な役割が,

「人がいかにひとしく食べていけるか,いかに安全に暮らしていけるか」

ということにある以上,世界の安全保障の確立は政治家にとって最も枢要の課題である。

 「ガサ侵攻前夜」にあたって,「イラク開戦前夜」の教訓を忘れたか,甚だしきは教訓を教訓とも自覚せぬ軽薄短小の議論がまたしても国の内外で横行している。

 30㎝の物指しをもってクジラの寸法を測ろうとする人はいないであろう。5mの巻き尺をもって東京・大阪間の距離を測ろうとする人もいないであろう。しかし,我々は現にその愚を犯している。

2 アメリカ合衆国にも知性はあった!
―ハーラン・ウルマン「アメリカはなぜ戦争に負け続けたのか」―

 この本の原題は「Anatomy of Failure:Why America Loses Every War It Starts」(「失敗の分析―なぜアメリカは自ら始めるどの戦争でも負けるのか」)というものであり,中本義彦監修・田口未和訳で中央公論新社から2019年8月10日に初版が発行されている。原著は,「はじめに」が2016年9月30日付となっている。

 著者は,監修者によれば,ヴェトナム戦争の従軍をきっかけにアメリカの歴代政権にアドヴァイスを続けた大御所的存在であり,「あえていえば共和党寄りだが,間違いなく穏健派である」と紹介されている。

 この本はなかなか興味深い内容が盛り沢山であるが,今になってこの本のことをスサノオ通信で紹介する羽目になるとは思わなかった。

 私は,この本を最初に手にしたとき,淳Think2003年3月18日号外,2003年4月2日号外に照らし合わせながら読んだ。もちろん「イラク開戦」の部分であり,「アフガニスタン侵攻」の部分である。

 「なるほどそうだったのか,やっぱりそうだったのか」と膝を打つ箇所がいくつもあった。たとえば,我が“敬愛する”当時の国務長官コリン・パウエルが,ブッシュ(ジュニア)大統領に対し,

「イラクをどう扱うかを考える際は,あらゆる結果を想定しておく必要がある,と釘を刺した。戦略的思考の基本,まさに入門コースの教えである。パウエルもスコウクロフトの使った「煮えたぎる釜」という言葉は正しい表現だと考えた。イラクへの侵攻は中東を不安定にするだろう。パウエルはそれ以外の影響についても想像した。イラクを占領することによる経済的,具体的コストについても。(これら全ての懸念が,悲しいかな,まるで誤った判断への報復であるかのように現実のものになる。)」

と提言したにもかかわらず,何故に彼が

「2003年2月5日に国連安保理で演説することになり,この政権で戦争を支持するスポークスマンとなった」

かのいきさつも解析されている。

 もちろん,淳Think号外で指摘したように,ことは「中東の不安定」などという狭い領域のことではなく,「テロの世界中への拡散」であったが。

 しかし,この本で私が最も膝をたたいて同感したのは,この本が一貫して歴代大統領の資質や能力ということを観察の柱に据えているということである。

 世の中には,「ブッシュ(ジュニア)はネオコンに踊らされただけだ」という論評があるが,そのような見方は一面的であり,

「この政権に戦略的思考が欠けていた理由の一つは,大統領の人格と心理状態にある。9.11同時多発テロは「フリーダムアジェンダ」についてのブッシュのヴィジョンと論理的根拠を固めた。悪の枢軸と名指しされた三国は,民主的価値観と原則へのアンチテーゼだった」

といみじくも指摘する。

 私は,淳Thinkの前掲二つの号外で,ブッシュ(ジュニア)大統領の演説の中味を長々と引用・紹介した。“ブッシュの正義”が「中東・アラブ諸国の民主化」ということであり,これがときとして親米のサウディアラビアさえも脅かしかねないものであるとそこで指摘した。

 そして,ブッシュ(ジュニア)大統領は,そのときとても高揚していた。“正義のひと”であり“信念のひと”だった。私は,TVで見るブッシュ大統領の演説の際の顔つきにある種の“狂気”を見た。

 “正義のひと”“信念のひと”ほど恐ろしいものはない。私は,これとそっくりの場面を日本で見たことがある。田中秀征氏との対談の書「この日本はどうなる」でもそのことを書いている。それは1994年1月末の民間臨調における細川総理の「政治改革法案実現」に向けての“格調高い”演説のことである。物凄く高揚した細川さんが「人間の世界から神の世界に飛ぶんじゃないか」と私には思えた。そこに“信念のひと”の“狂気”を見たからである。

 これぞまさしくハーラン・ウルマン氏が「大統領の人格と心理的状態」といみじくも指摘したものと,スケールはまるで違うが,同質である。

 ハーラン・ウルマン氏は,この著書のなかで,クリントン,ブッシュ(ジュニア),オバマ,トランプの4人の大統領の資質と能力に手厳しい批判を展開している。「選挙に勝つ能力」は持っていたが,「統治する能力」はそれとは別物だという。「統治する能力」とは「戦略的思考」である。この「戦略的思考」というのはこの本の中で何度も出てくる核心概念である。

 この点,ブッシュ(シニア)(父)大統領の資質は高く評価されている。第一次イラク戦争の勝利の後,

「戦争終結後には,連合軍は占領したバグダッドまで勝利の行進をすべきだったという不満の声も上がった。しかし,そうすれば大きな判断ミスになっていただろう。」

という。

 前掲淳Think2003年3月18日号外の「緊急アピール」のタイトルが,

「ブッシュ大統領よ,なぜ父ブッシュも踏みとどまった危険な泥沼の道へと身をゆだねるのか」

というものであったことに,想いを至らせてほしい。“失敗への道”に迷い込む前に引き返すことは出来たのである。

3 再び「侵攻前夜」について

 私が恐れるのは,「イラク開戦前夜」より「ガザ侵攻前夜」の方がはるかに世界情勢が不安定になっていることだ。このことはスサノオ通信でたびたび指摘したことだ。

 ハーラン・ウルマン氏のこの著書も,このことをしっかりと警告している。

「私たちは「新世界無秩序」というまったく異なる時代に入ったので,前世紀の概念を修正し,再定義しなければならない。抑止と封じ込めがその修正リストのトップにくる。」

「21世紀はまったく別の世界だ。グローバル化と力の分散が情報通信革命によって加速し,個人と非国家の組織に力を与え,その分だけ国家の力が弱まり,400年近く続いたウェストファリア体制の主権国家を中心とした国際関係が揺らいだ。絶対的な意味で,アメリカは他のどの国よりも,またどの国の連合よりも強大な軍事力と経済力を持つが,相対的な優位は失われつつある。」

この指摘には,おおかたの人が異論がなかろう。

 私は,ここに,安全保障に占める軍事の役割が益々小さくなってきているということも挙げておきたい。

 「ガザ侵攻前夜」を前にして,私がもっとも懸念するのは,バイデン大統領の苦渋に充ちた表情と,そこに隠されている“動揺”である。「イラク開戦前夜」のブッシュ(ジュニア)大統領の表情は“狂気”とも思えるほどの「自信」と「誇り」に充ちあふれていたが,「ガザ侵攻前夜」のバイデン大統領の表情は苦悶に充ちている。あれから20年――何もかもが変わったのだ。彼はどうしていいのか分からないのではなかろうか――いやそうではなく,「分かっているけれど,どうしようもない」ということであろう。それは,これほどまでに世界情勢が急激に変化しているにもかかわらず,バイデン大統領が,いやアメリカ合衆国の政治そのものが,もはや抜け出せない轍(わだち)にはまってしまっているからである。それは「国内政治」 という轍である。もっと端的にいえば「選挙ないし再選」という轍である。私自身,国政選挙でさんざん苦労したからよく分かる。政治家というのは,“当選の万歳”の両手を挙げた瞬間から次の選挙のことを考えるものである。哀しい“性(さが)”だ。

 ハーラン・ウルマン氏のこの著書も,このことを強く指摘している。

「アメリカの現在の政治は,統治ではなく選挙に勝つことを最優先に考えるようになった。さらに悪いことに,新たに選ばれた大統領は,実際の統治能力ではなく,選挙戦での貢献度に応じて上級スタッフを任命することが多すぎる。」

「候補者にとって,戦略的思考は将来の統治に必要なものではなく,選挙で勝つことだけが重視される戦いの場で,後づけされるものにすぎない。」

 まさにその通りである。イスラエルもアメリカと同じである。世界一強大な軍事力を持つ国が,或いは相対的に優位な軍事力を持つ国が,この“轍”から抜け出せないことに,今日の世界の深刻な危機がある。

4 「この日本はどうする」

 ひるがえって,「この日本はどうする」のか。「アメリカの判断に従っておけばよい」という“良き時代”は終わったのだ(正確にいえば,終わりつつある。)。

 では,「どうする」のか。「ガザ侵攻」を止めないのか。「ガザ侵攻」はイスラエルにとっても“大きなわざわい”をもたらす。それは“永く永く続くわざわい”だ。しかし,イスラエル自身がこれを止めることは出来ない。アメリカも出来ない。では,どうするのだ―日本の国政政治家はどうするのだ。

 たとえ“当面の”問題の解決といえどもそこには,根源的な解決のための「戦略的思考」(ハーラン・ウルマン)が必要だ。そうでなければ,それはたんに「煮えたぎる釜」(スコウクロフト)に一時しのぎの蓋をするだけだ。それがわかっていながら出来ない―いつまでこれを続けるのか。

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