スサノオ通信番外編 :「錦織淳の役に役に立つビジネスコーナー」(第4回)―ジャニーズ事務所の記者会見はなぜ“失敗”したか-

1 私とエンタテイメント業界

 私は,小さい頃から自他ともに許す“音楽・芸能音痴”である。

 小さな地方都市にある私の通った市立小学校は,NHKの合唱コンクールで全国トップを争う合唱の盛んな学校であった。稀にみる優秀な音楽教師がいたからである。その教師は全校生徒を対象に選抜試験を行い男女混声のコーラスグループを編成した。その選抜試験は数次(4~5回?)にわたって行われ,私ははかなくもその途中でふるい落とされた。音感がないからであることは,幼い自分にもすぐにわかった。

 もうひとつ証拠(エピソード)をあげよう。私は,30代のはじめ,あるところで弁護士業務にからんである方と名刺交換した。そこには肩書のたぐいが一切書かれていなかった。私はそこでとぼけた質問をしてしまった。「○○さんは何のお仕事をしていらっしゃるのですか?」。その人は笑いながら「跳んだり,はねたりしています。」と答えてはくれたものの,その人が誰であるかは,その場ではわからずじまいだった。その人は,実は日本人なら誰ひとり知らない人はいないといってよい国民的人気のあるタレント(コメディアン)であった。しばらくして私の兄からそのことを教えられて,初めてその人の“正体”を知ることとなった。大恥をかいてしまった。

 そんな私が,今は,日本でも有数のエンタテイメント業界団体の法律顧問である。しかも,昭和,平成,令和の三代にわたってその法律顧問を続けている。今や,この分野でのいわば“最古参”である。今では自称・他称のエンタテインメント・ロイヤーは数多いが,初期の頃から残っているエンタテインメント・ロイヤーの仲間はほんの数名である。

 従って,“ジャニーズ問題”は私にとって深刻な問題である。その解決の有り様や,その帰趨は直ちにエンタテイメント産業全体を直撃し,私の関与する音楽・芸能団体もその直撃から逃れられない。

2 ジャニーズ事務所の記者会見の“失敗”

 去る10月2日にジャニーズ事務所が開いた記者会見は,企業再編にあたり水俣病患者補償のチッソ方式を“流用”する点で,ある意味で“常識的”なものであった(もっとも,このチッソ方式については,患者側からの厳しい批判がある。)。しかし,その記者会見の準備過程でいわゆる「NGリスト」が作成されていたことが発覚したことから,何もかもぶっ飛んでしまった。

 この記者会見については,マスコミを通じて多数の論者(いわゆるその道の専門家など)のコメントが発表されている。私もそのいくつかを目にした。「NGリスト」を用意したこと自体についてこれに理解を示すものもあるが,多くは批判的である。

 しかし,いずれも“深堀り”されているとは言い難い。「当たらずといえども遠からじ」というより「遠からずといえど,当たらず」という感じである。いわば隔靴掻痒の感あり!ということである。

 失敗の“根本的原因”が掘り下げられていない。これでは,形を変えてまた同じ“失敗”が繰り返されるだろう。

3 会見の運営をコンサルト会社に“委託”(“丸投げ”?)したこと

 私が驚愕したのは,記者会見の「司会」をコンサル会社に委ねたことである。企業の存亡がかかったこんな大事な場面でそんなことをするのか!―ということである。

 「答弁」者と「司会」者は,阿吽の呼吸どころか一心同体(異体同心)でなければならない。会見の席上で,どんな質問が飛んでくるかもわからず,どんな場面に遭遇するかもわからない。予期せぬ混乱が起きるかもしれない。そんなときその場で即時に判断し,決断する必要がある。答弁者と司会者は深いところで,認識・理解・考え方を共通にし,心を通じ合う関係でなければならない。当然両者は同じ会社・企業内かまたはそれに類する間柄でなければならない。

 これをコンサル会社(部外者)に“分業”させるなどもってのほかである。危機の根が深く,問題がより根源的であればあるほどそうである。たとえ,コンサルタント会社がどれほどの“コンプライアンス問題”“危機管理問題”のプロであり,そこに所属するその担当司会者がどれだけ“熟練の人”であってもそうである。“当事者”に勝る者はいない。

 これを別の角度からみると,「司会」をコンサル会社に委ねるということは,ジャニーズ事務所が“全てを自らが引き受ける”という覚悟が足りないことを意味する。心の奥底のどこかで会見の場を“技術的にすり抜ける場”と位置付ける下心があったのではないか。

 問われているのはジャニーズ事務所の“根源的反省・悔悟と再出発への捨て身の覚悟”である。それを示すのが記者会見の場である。「司会」という最も重要な役割を他者(他社)に委ねてはならないのである。

 “平時”であれば,コンプライアンスのある局面や,危機管理の一場面において,コンサル会社や法律事務所など,その道の専門家に重要な役割を委ねてもよかろう。

 また,“平時”の場合のみならず,極限的・危機的場面においてこのような経験豊富なコンサル会社や法律事務所に相談し,綿密な打合わせをすることも有用であろう。そこでは豊富なアドバイスをもらえるであろうからである。

 しかし,危機が深ければ深いほど「当事者は自分(自社)自身である」ということを忘れてはならない。

 イノッチ氏(井ノ原快彦氏)がこの会見の席上で心情を切々と吐露し,これに応じて一部の記者たちが拍手を送っていたことについても,論者から様々なコメントがなされている。

 このことにからみ,より深刻な問題は,この「NGリスト」の存在がジャニーズ事務所側とコンサル会社側との事前打ち合わせにおいてすでに示されていたということである。このコンサル会社はある大手法律事務所の紹介ということなので,その場で同席した弁護士はともかく,ジャニーズ事務所側はどうしてこれに“根本的な反撃”を加えなかったのか。純朴の代名詞のような井ノ原氏が「NGリスト」に強度の困惑を示したと伝えらえている。しかし,その事前打ち合わせの場で,「NGリスト」は廃棄されるということにはならなかった。私が勝手ながら推測するに,井ノ原氏はそれ以上強くは言えなかったのではないか。どうしてか?

 それは,「答弁」と「司会」の分離・分業がすでに“所与の前提”として,動かしがたいものとして決まっていたからである。ましてや,そのコンサル会社はコンプライアンスの専門家であり,それを紹介したのが,これまた権威ある大手法律事務所ということである。同席した弁護士たちも「答弁」と「司会」の分離・分業を当然の如く容認していたのであろう。井ノ原氏がその場で瞬時に“仕組み”を壊す判断が出来たであろうか。私は,井ノ原氏の戸惑いに同情する。

 要するに,コンサル会社は“黒衣”に徹するべきだったのである。

 私は,この大手法律事務所に沢山の知己がいる。このように公然と批判することには,躊躇がある。しかし,このジャニーズ事務所の“失敗”の要因には,より根深いものがある。それが抉り出されない限り,問題の本質的解決はない。よって,このようなことを指摘するわけである。

4 専門分業化の進行とマニュアル至上主義の横行が問題の核心

 今,一方においてあらゆる分野において専門分業化が進み,他方でマニュアル至上主義とでもいうべき現象が深く進行している。

 両者の間には密接な関係がある。マニュアルが精緻化すればするほど専門・分業化が進む。なぜなら,高度化・精緻化が極度に進むと,全ての分野においてこれに精通することは,次第に不可能になっていくからである。

 また,専門・分業化が進めば進むほど,それを担う人々の間でマニュアルは更に進化させられていく。

 そして,この専門家・分業化,マニュアルの高度化に伴い,それぞれの専門分野での“棲み分け”が進む。ときとして,そこに互いの“不干渉”という現象が生まれる。井ノ原氏の“戸惑い”の根底にはそのような問題が内在している。

 私の最近の口癖;

「マニュアルは使うものであって,使われるものではない」

これは現代社会を生きる“取り敢えずのノウハウ”である。

 もっと,根源的には,

「問題の解決のためには,その問題の広さ,深さに応じて掘り下げよ。ときにはとことん掘り下げることを恐れるな。」

 このスサノオ通信で何度も指摘しているように,今や「世界観喪失の時代」であり「文明的危機の時代」である。各界各層において“一騎当千”の人々が登場することが待たれる。

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