2026年7月9日 第21号 アメリカ・イスラエル=イラン戦争はなぜ起きたか? 我々はなぜ「ホルムズ海峡」で苦しむのか?――“ガザGAZA”を見捨てた“国際社会”の“罪と罰”――

1 “因果の予測”の大切さ

 私は,これまで“因果の予測”の大切さを繰り返し説いてきた。つまり,我々が何か事を起こそうとするとき,その行動に「大義」があるかないか,「正当性」があるかないかについては散々口角泡を飛ばして議論するが,「しからばその行動をとったとき,現実に何が起きるか」という“因果の予測”については語ろうとしない。「正当性」をめぐる議論は,どこまでいっても決着がつかない。人は自己の主張の正しさをどこまでいっても撤回しようとしないからである。しかし,「因果の予測」については,遅かれ早かれいずれ結果が出るから,決着がついてしまう。

 どちらが大切かはいうまでもない。どんなに「大義」「正義」に裏付けられた決断・行動であっても,それが自らの望むところと正反対の結果をもたらすものであれば,何のための「大義」「正義」であったか,何のための行動であったか,ということになるからである。“不都合な結果”が起きてから初めて自らの“不明”を恥じ入ったとしても遅いのである。

 こんなことはわかりきったことの指摘のように思えるが,現実にはそうではない。今や国際社会で起きていることにつき,おびただしい数の論評・コメント・見解が発表されている。しかし,“こうすれば,ああなる”という因果の予測を語るものはほとんど見当たらない。もちろん,複数の可能性・予測を語るものはしばしば見受けられるが(中には非常に鋭い“予測”や指摘もあるが),ズバリ「こうなる」ということを端的に指摘するものはほとんど見当たらない――というより皆無といってよい。

2 “前夜”ということの大切さ
――イラク開戦前とガザ侵攻前夜

(1)       “前夜”の意味

 私は,これまでメルマガ「淳Think」2003年3月18日号外の「緊急アピール」以来,“前夜”ということの大切さを繰り返し説いてきた。つまり,この戦争を起こせば“こうなる”という“因果の予測”をズバリ指摘するということの大切さである。そして,ここで最も大切なkeywordは“前夜”ということである。言い換えれば“因果の予測”ということであり,戦争は一度起きてしまえば(起こしてしまえば)これを止めることが100倍も1000倍も難しいことは歴史が証明している。“前夜”ならまだ止めることが出来るからである。

 その意味で,私は,これまで繰り返し「イラク開戦前夜とガザ侵攻前夜」について述べてきた(2023年10月12日スサノオ通信号外,2023年10月25日スサノオ通信第16号,2024年1月12日第17号,2024年4月26日スサノオ通信第18号など)。

 イラク開戦“前夜”については,「世界中にテロが拡散する」「世界は大変な安全保障上の危機にさらされる」と“予言”し(前掲「淳Think」2003年3月18日号外),これは余りにも見事に的中した。

(2)       ガザ侵攻“前夜”の意味
 ――イスラエルにとっての悲劇――

 ガザ侵攻“前夜”については次のように述べた。それは二つの観点からである。

 まず,これがイスラエルに何をもたらすかという観点である。2023年10月25日スサノオ通信第16号では次のように述べた。

「ガザ侵攻はイスラエルにとっても“大きなわざわい”をもたらす。それは“永く永く続くわざわい”だ」

と。そして,2024年4月26日スサノオ通信第18号では,そのことの意味について次のように述べた。

「これは,たんにイスラエルが中東・アラブ世界のみならず広く国際社会で,しかもアメリカ合衆国国内でさえ支持を失い,孤立していくという表面的,皮相的なことを意味するものではない。イスラエルという国家そのものの成り立ちについて問い直されるという,より根源的な問題なのである。」

 更に,このことにつき,ICJ(国際司法裁判所)への南アフリカ共和国のイスラエルに対する,ニカラグアのドイツに対する提訴という“二つの提訴”の象徴的意味合いについて述べた。

 悲しいかな!この“予言”もまた的中しつつある。イスラエルがかのアメリカ合衆国国内でさえ“孤立”を深めつつあることは多くのマスコミがこぞって伝えるところである。

 しかし,2024年4月26日スサノオ通信第18号で述べたことは,イスラエルにとってもっと深刻にして根源的なことである。それは,

「ガザの悲劇が深刻になればなるほど,世界の潮流は必ずや「イスラエルの国家としての成り立ちそのものへの根源的問い直し」へと進んでいくだろう。イスラエルにとってこれほど大きな災(わざわい)はないだろう。だからこそ,今直ちにガザへの侵攻をやめなければならない。」

「G7の国々(日本を含む)が「イスラエルの真の友人」であることを自負するならば,全力を挙げてイスラエル国民にその決断を促すべきであろう。それが真の友情と連帯というものであろう。」

と述べたところであり,日本政府は,それこそ“身体を張って”でもガザ侵攻を止めさせなければならなかったのだ(ガソリンやナフサ問題など“ほんの氷山の一角”に過ぎない!!)。この“予言”もまた的中するだろう。世界中のマスコミの論調にその兆しはすでに出始めている。

(3)       “西欧文明”の“自滅の始まり”
 ――ガザ侵攻“前夜”のもうひとつの意味――

 もうひとつの観点は

「イスラエルのガザ侵攻は人類の主流派が創り上げてきた“西洋文明”の“自滅の始まり”」

というものである。2024年4月26日スサノオ通信第18号でその意味するところを次のように述べた。

「我々人類の主流派が創り上げてきた「人権」や「自由と民主主義」或いは「法の支配」という“普遍的価値概念”がその正当性を問われ,やがてはその正当性を喪う(ということである)」

この“予言”は,誠に遺憾ながら,“ズバリ的中”しつつあるといってよい。世界中に出回っている評論を読んでみるとよい。今や世界中が「法の支配」崩壊の危機感に満ち満ちている。これは,トランプ個人の資質や特異な人格のみに責任を帰すればよいほどの生易しい問題ではない。

3 アメリカ・イスラエル=イラン戦争はなぜ起きたか?
――“ガザGAZA”を見捨てた“国際社会”の“罪と罰”――

 ここから述べることは,以上述べてきたことは角度が少し異なるが,本号のテーマそのものである。

(1)       阪神淡路大震災と3.11東日本大震災を経験した我々日本人は“ガザGAZAの悲劇”を我が事として想像できること

 戦争災害と大震災は酷似している面があることは,次の一首とともに2020年12月25日スサノオ通信第1号で述べた。

「雷鳴は
   砲撃に似たり
   夜(世)(よ)切り裂く
    母娘(ははこ)怯(おび)える
     ベイルートの夜」

 私が首相補佐として阪神淡路大震災の直後に現地を訪れたこと(しかも,それがレバノン内戦終結直後の崩壊したベイルートの街を訪ねた直後であったこと)はその号で紹介した。そして,今まで皆さんにはお話ししなかったことだが,3.11のときはたまたま出張中で福島県いわき市におり「震度6強」の強烈な揺れを経験した。そして,現地では震度5クラスの地震がしばらくの間は断続的に続いた。私は,急遽泊まることになったいわき市のビジネスホテルで,靴を履いたままベッドで横になった。

 イスラエルのガザ侵攻は,何か月も何年も,しかも毎日毎日,絶え間なく震度6強や震度7の地震が襲ってくるようなものである。どんな大震災であっても,そんな強度の地震が長期間にわたって続くことはないが,ガザではそのようなことが毎日,毎時間,しかもいつ果てるともなく続くのである。その恐怖たるや,いかほどのものであろうか。震災を想像してみれば容易に想像出来よう。しかも,ガザでは,満足な避難所もなく,トイレさえもない。もちろん食料もない,水もない,それがどれほどすさまじいものであるか――我々日本人なら容易に想像出来よう。

 ちなみに,パレスチナの少年たちは,毎年3.11になると,東日本大震災の被災者に対する連帯の意を込めて“凧揚げ大会”を催していたこともその号で紹介した。

(2)       ガザGAZAを見捨てた国際社会の“罪”

 2020年12月25日スサノオ通信第1号で古居みずえ氏のことを紹介した。私のパキスタンの知人にBaigという青年がいた。彼が私に紹介してくれた日本人に中村哲医師(ペシャワール会)と野中章弘氏(アジアプレスインターナショナルというフリーのジャーナリスト団体の代表)がいる。その野中章弘氏が私に古居みずえ氏を紹介してくれたのである。つまり,遠い“異国の人”が元々の縁となって,最後は私の高校(島根県立出雲高校)の後輩である古居みずえ氏という本来最も身近にいたはずの人と知り合えたというわけである。人の縁(えにし)の不思議さを感じる。

 その古居みずえ氏が最近中心となって刊行した本に

「GAZA この地には生きるに値するものがある[パレスチナ女性2人のガザ日記]」
(出版:梨の木舎)

というのがある。

 ガザ在住のサバラ・ムイーン,サマル・アハマドというごく普通の女性の現地から送られてきた日記である。

 イスラエル侵攻下の日々の生活の現状がリアルに描かれている。

 サバラ・ムイーンは,この中で

「苦難のなかでも忘れなかった希望について,また失った大切な人について,そして今まで生きてこられたことについて,分かち合いました。泣いても笑っても,何があろうと,大切に思う人がいて,互いに喜び,こうして生きる力がある。廃墟にいるなかでも喜びを創り出せるのです。私たちは決して屈しません。灰のなかから起き上がり,悲しみから喜びを紡ぎだし,絶望から希望を切り開きます。戦闘がつづき多くのものが奪われましたが,機会があればいつでも人生に幸福を取り戻す力,生きる力は奪われることはありません。」

と語る。

 彼女の日記には戦争による破壊が続き日常化している中でのGAZAの人々への細やかな観察が延々と綴られている。これらの描写は,GAZAの普通の市民への愛情に充ち,実に細やかだ。そして,絶望に打ちひしがれそうになりながら,それらの人々への愛情に満ちた観察と描写を失わない。また,生きることへの希望を捨てない。

 彼女はまた次のようにも語る。皆様方にはこの状況が何を具体的に意味しているか想像していただきたい。

「裸足の女性が荷車のそばに立って震えていました。幼い娘にトイレすら用意できないでいる彼女は泣きながら言いました。「行く場所がなく,どうしようもないのです。」屋外であるにもかかわらず,空気は重苦しく,周囲にいた人々の視線には恐怖が宿っていました。尊厳を剥ぎ取られた姿が人前に晒されていたからです。その光景のすべてが世界から見捨てられたことに対する叫びでした。人類がガザの人々に向けて扉を閉ざしていることを象徴する世界でした。世界はこれを見ていながら,なお沈黙を保っているのです。」

 ここでは,“国際社会”がGAZAを見捨てていることへの“静かな憤り”が控え目な表現で伝えられている。

 彼女は,また次のようにもいう。

「静かな怒りが湧いてきます。この状況に至らせた世界にです。戦争を止める力を持ちながらそれをせずに,沈黙や傍観を選択したすべての人々を厳しく非難します。殺戮の状況から目をそらし,この破壊を見ても何も感じないすべての人を非難します。私たちには何が残されたのでしょうか。何もありません。瓦礫の上を歩くだけです。私たちの人生に残されたものは悲しみと別れだけなのです。」

 ここでは,GAZAを見捨て続ける“国際社会”への非難が読む私たちの心にはっきりと突き刺さる。必死に押さえてきたが押さえきれずにいたものがついに言葉になったのであろう。彼女の日記では,戦争の続くGAZAで暮らす市井の人々の暮らしの描写が,細やかな観察眼と愛情をもって延々と綴られている。上記のような憤りや怒りがあふれた表現は上記のたった二箇所のみである。

 “国際社会”は,イスラエルのガザ侵攻を止めることが出来ず,震度6~7クラスの強烈な地震が断続的に,しかも何ヶ月,何年にもわたって襲ってくるという中で暮らすガザGAZAの人々を見捨てたのである。

(3)       アメリカ・イスラエル=イラン戦争の前史

 ことここに至るには歴史的経緯がある。

 発端はいうまでもなく1979年2月11日のイランのホメイニ革命(イスラム共和国の樹立)である。同年11月4日に「アメリカ大使館人質事件」が発生し,アメリカとイランは互いに不俱戴天の敵となった。

 イスラエルは,これまでにも何度かイランへの攻撃を仕掛けている。2020年11月27日,イラン核開発の中心人物の物理学者モフセン・ファクリーザーデ氏がテヘラン郊外で暗殺された。また,イランでは2010年以降少なくとも4名の核科学者が暗殺されたといわれている。これらの“真相”は明らかではないが,イランは背後にシオニスト体制があると言及している。

 また,アメリカも,2020年1月3日バグダード郊外でイランの革命防衛隊のソレイマーニー司令官を殺害している(こちらは公表)。

 しかし,イスラエルとイランの間の眼に見える形での大規模な戦争の端緒は2024年に入ってからである。同年4月1日,イスラエルはシリアの首都ダマスカスにあるイラン大使館を攻撃し,イラン革命防衛隊の司令官が死亡。もっとも,これに続くイスラエルとイランの攻撃の応酬は限定的であった。もちろん,この間ヒズボラとのいわゆる代理戦争が続き,更に,シリアのアサド政権が崩壊した。

 そういう意味では,今般のアメリカ・イスラエルとイランの“全面戦争”の直接の前史となったのは,2025年6月13日のイスラエルのイランの原子炉攻撃(イスラエルのOperation Rising Lionライジング・ライオン作戦)に始まるいわゆる「12日間戦争」である。これはオマーンの仲介で始まっていたトランプのアメリカとイランの間の核協議が再開される2日前に突如として行われたために,世界中の人々をアッと驚かせた。

 この「12日間戦争」には,アメリカは少し遅れて6月22日に参戦した。しかし,早くも翌々日24日には停戦合意が成立した。

(4)       今般の“Operation Epic Fury壮絶な怒り作戦”の特異性とその原因

 このようにみてくると,アメリカ・イスラエルとイランの間にはこれまでも“きな臭い関係”が延々と続いていたことがわかる。そういう意味では,両者の間にいつ“全面戦争”が起きてもおかしくないという関係があったのである。

 しかしながら,別の角度でいうと(反面からみると),両者の関係は

「そうはいっても(敢えて)全面戦争には至らない」

 というものであったことも事実である。だからこそ前年(2025年)の「12日間戦争」も,イスラエルに引きずられる形でアメリカが参戦はしたものの,短期間で終わったのである。しかし,今般の戦争は,「すわ,第三次世界大戦か!?」と思われるほどの全面戦争に拡大し,かつ長期化している。しかも,ホルムズ海峡問題で世界を震撼せしめている。

 そうすると,前年(2025年)の「12日間戦争」と今年(2026年)のOperation Epic Fury(以下「2026年戦争」という。)の違いをもたらしたものは一体何であろうか。これを解明するのが本号の役割である。

 要するに,2026年戦争では,つい先日まで存在したはずの

「タガが外れた」

のである。これを別の言い方をすると

「全面戦争への“抑止力”が消滅した」

ということである。

 もちろん,このタガが外れた=抑止力が消滅した理由には様々なるものがあるが,これを正しく解明することは,

「我々人類が戦争を忌避し,平和を望む」

という前提に立つならば,とても重要なことである。特に,「イランの核兵器開発が差し迫った危機にある」という認識は,圧倒的多数の論客が共通に指摘している通り,それは“口実”ではあっても“現実”ではないからである(かつて北朝鮮の核兵器についてなされたのと同様の技術的問題の存在。核弾頭の小型化や着火技術の問題など。私は1994年5月,ホワイトハウス,ペンタゴン,CIAを訪れた際,北朝鮮の核開発の状況について情報を得て議論した。)。

 もちろん,この全面戦争への重要な誘因のひとつにイランの同盟勢力の力が衰えたことがあるのはいうまでもない。GAZAのハマスは壊滅状態だし,レバノンのヒスボラも大きな打撃を受けた。また,シリアのアサド政権が崩壊したことも大きい。イスラエルが“今がチャンス”と思ったとしても,何ら不思議ではない。

 しかし,これらは所詮“代理勢力”である。イスラエルがイランとの全面戦争に踏み切るにはいささか原因としては弱い。

 そうすると,何かもっと決定的な原因があったはずである。

 このことを次の二つから考えてみたい。

(5)       イランの“体制転覆”への誘惑

 2026年戦争は,イスラエルとアメリカが同時に始めたとはいうものの,その実際は,いうまでもなくイスラエルの主導で始まり,アメリカ(のトランプ)がこれに“乗せられた”ということである。

 イスラエルにとって“タガが外れた”理由の一つにイランの体制転覆への誘惑があった。2025年12月28日にテヘランで始まり,その後またたく間に1979年の革命以降最大の規模にまで全国に拡大した抗議行動では,そのピークを迎えた2026年1月8日の抗議行動で7000名余が死亡したという。直接的な原因はイランの自国通貨リヤルの暴落に象徴される経済危機である。私は1990年代初頭にイランを二度ほど訪れたことがあるが,もともとホメイニ革命後のイランの経済状況は厳しく,ヘジャブの着用など女性の衣装への規制も苛酷だった。後者は最近だいぶ改善されたようだが,現在の経済状況は益々苛酷だといわれる。

 そうした中で,「王政復帰」を叫び,ホメイニ・イスラム革命前のパーレビ(パフラヴィー)国王の子息の帰国を叫ぶ者まで現れたという。

 このような状況の中で,イスラエルが“今がチャンス”と考えたのは想像に難くない。

 そして,ネタニヤフ首相はトランプ大統領を説得した。

 ――今がチャンス,私もあなたも英雄になれる,イラン国民は大歓迎する。今を逃したらチャンスは二度とこない。――と。

 トランプは“これに乗った”――過去のアメリカの幾度とのない失敗の経験(スサノオ通信2023年10月25日 第16号 紹介のハーラン・ウルマン「アメリカはなぜ戦争に負け続けたのか」参照)を鑑みずに――。

 この“推論”の正しさを証明するものに次の二つの端的な証拠がある。

 ひとつは,ハメネイ師の殺害である。――イスラエルの“世界一級品の”“諜報活動”とアメリカ・イスラエルの強大な軍事力をもってすれば,これまでもこれは実に“造作もない”ことであったが,“敢えて”してこなかった。

 もうひとつは,トランプ自身の次の声明である。2026年2月28日のトゥルース・ソーシャルに投稿したトランプの声明文は次のようにいう。

「最後に、偉大なる誇り高きイランの国民に告ぐ。避難していなさい。家から出るな。外は非常に危険だ。爆弾がいたるところに投下されるだろう。私たちの仕事が終わったら、あなた方の政府を引き継いでください。あなた方のものだ。何世代にもわたって、おそらくこれが唯一のチャンスになるだろう。
 何年もの間、あなた方はアメリカの助けを求めてきた。しかし、決して得られなかった。どの大統領も、私が今夜するようなことを進んでやろうとはしなかった。今、あなた方が望むものを与える大統領がいる。では、なにができるか見てみよう。アメリカは圧倒的な力と壊滅的な力で君たちを支援している。今こそ、あなた方の運命を掌握し、手の届くところにある繁栄と栄光の未来を解き放つ時だ。今こそ行動の時だ。それを逃してはならない。」(ARAB NEWS JAPANサイトの翻訳による)

トランプ大統領の得意満面の顔が眼に浮かぶようではないか!

(6)       GAZA侵攻勝利によるイスラエルの驕りと傲慢と増長

 以上の説明はいささか“プロ好み”,“通好み”であり過ぎるかもしれない。

 しかし,私が最も言いたいことは,以下のことである。それは,GAZAの“全面勝利”によってイスラエルが“歯止め”を失ったということである。

 イスラエルがその建国の歴史とそれを支えた宗教観により周辺のアラブ・イスラム諸国との関係に独特の“緊張感”をもっていることは周知のとおりである。ホロコーストを経験したユダヤの民の多くが何故にGAZAの悲劇に鈍感でいられるかについては,近時多くの解説がある(ちなみに,最近これをわかり易く解析したものとして,大治朋子「イスラエル人の世界観」(毎日新聞出版社)がある。ちなみに,ユダヤの人々の間でもどんどん世代交代が進み,ホロコーストを直接体験した人々はどんどん減っている。そういう広島・長崎を経験した我が日本でも,我が国の核兵器保有を積極的に容認する被爆4世の政治家がいる。)。

 しかし,これは今に始まったことではない。昨年2025年の「12日間戦争」から更に一気に飛躍して今年2026年の「壮絶な怒り作戦」に踏み切った理由にはならない。

 決定的な違いは「GAZA侵攻」の圧倒的勝利によってネタニヤフ首相をはじめとするイスラエルの現指導部がこれに酔い痴れ,

「徹底的にやっても大丈夫だ。いや,むしろ徹底的にやった方がよい。やってしまえばかえって誰も今更文句はいえない。」

と考えたからである。

(7)       GAZAガザを見捨てた国際社会     の受けた“罰”

 では,イスラエルに,イランの体制転覆の衝動を起こさせるほど増長させ,傲慢にしたものは何か。それは“国際社会”がGAZAを見捨てて,何もしなかった(出来なかった)からである。

 私は,前述したように,2024年4月26日スサノオ通信第18号で

「イスラエルのガザ侵攻は人類の主流派が創り上げてきた“西洋文明”の“自滅の始まり”」

と述べ

「我々人類の主流派が創り上げてきた「人権」や「自由民主主義」或いは「法の支配」という“普遍的な価値概念”がその正当性を問われ,やがてはその正当性を喪う」

と述べた。

 今や,世界は剝き出しの暴力が支配し,人々がこれに屈服する時代になった。このような荒涼たる世界となったのは,我々が“GAZAガザを見捨てた”からに他ならない。

 ホルムズ海峡問題で世界経済が打撃を受け,我々が石油やナフサの問題で苦しむのは,ほんの“氷山の一角”である。我々は,“GAZAガザを見捨てた”ことにより,もっと大切なものを失い,今後はもっと大きな代償を払うであろう。

 では,G7は何も出来なかったのか。日本政府は何も出来なかったのか――断じて,そんなことはない。やろうと思えば出来たのだ。ただ,“見捨てる”ことの代償の大きさ,重大さに気付かなかっただけだ。――“偉い人ほど大きな流れがわからない”のだ――だから“何もしない”でいられたのだ!――危機意識の欠如といってもよい!

 やるべきことをやれば,それがアメリカはもちろん,イスラエルをも救うことにもなったはずだ。

 今こそ,ユダヤ教徒も,キリスト教徒も,そしてイスラム教徒も,「因果応報」という仏教用語の持つ深遠な意味を噛みしめるときだ。

(8)       国家情報局の意義と役割

 今や,日本でも,インテリジェンス(情報収集,分析)機能を強化すべく「国家情報局」と「国家情報会議」の設置が問題となっている。ここでは,いわゆる「諜報活動」を強化するというのであろうか。

 イスラエルの諜報能力は,モサドをはじめ,自他ともに認める“世界の一級品”である。今や,最大の同士国であるアメリカの秘密情報さえ,その対象となっていると取り沙汰されているほどである。

 しからば,イスラエルは今般のイランへの全面戦争を仕掛けるにあたって,どのような情報収集・分析をしたのであろうか。自ら仕掛け,アメリカも巻き込んだこの戦争により何が起きると判断したのか。その「因果の予測」こそが最も大切ではないのか。

 日本には昔から良い言葉がたくさんある。――“木を見て森を見ざるの弊に陥るなかれ”――と。

 国家の情報活動も同じことではなかろうか。

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