2022年8月19日 第7号 文明史的転換(その2)

SDGsだとか脱炭素とかいう前に
やるべきことがあるのではないか

1 お詫び

弁護士業務が多忙を極めたため,この通信がしばらく途絶えてしまった。
その間,ウクライナ戦争が勃発した。読者より「錦織淳の文明論はこのことにつきどのように答えるのか?」という問いかけをいただいた。
もちろん,私はこの問いかけに答えなければならない。
しかし,今号は,「有明海と諫早湾干拓問題」についてふれることとした。実は,この7月,従来から続けられていた「諫早湾干拓堤防開門訴訟」の(差戻し審)上告審の段階から私自身もまた訴訟代理人として新たに加わることになったからである。
これまで長きにわたって多数の訴訟を手がけてくれたのは九州在住の弁護団の方々である。有明海沿岸漁民はもちろん,諫早湾干拓農地に“入植”はしたものの種々の予期せぬ障害に苦しむ農業者達の代理人として,粘り強く闘ってくれている。感謝にたえない。
数ある有明海・諫早湾干拓関連訴訟の中で,「諫早湾干拓堤防開門訴訟」というものがある。この訴訟は次のようなめまぐるしい変遷を辿っている。

  1. 佐賀地裁が漁民側の諫早湾干拓堤防開門請求を「5年間に限って」認容(漁民勝訴)
  2. 国側がこれに対し控訴するも,福岡高裁が国側の控訴を棄却(漁民勝訴)
  3. 国側の上告断念により上記開門判決が「確定」(漁民勝訴判決の確定)
  4. 上記確定判決に対し,国側が「請求異議訴訟」を佐賀地裁に提訴するも棄却(漁民勝訴)
  5. これに対し国側が控訴したところ,福岡高裁がこれを認容(原告漁民の漁業権が期間経過により消滅したという極めてテクニカルな理由を持ち出して)し,国側勝訴の判決(漁民敗訴)
  6. これに対し漁民側が上告したところ,最高裁は上記福岡高裁判決を破棄し,同高裁に差戻し,漁民側逆転勝訴の判決(漁民勝訴)
  7. この差戻し控訴審において,福岡高裁が再び国側の請求を認容(漁民敗訴)
  8. これに対し,漁民側が再び上告し,現在最高裁に係属中

この差戻し上告審については九州弁護団の方々がすでに詳細な上告理由書と上告受理申立理由書(その違いの説明は省く)を提出してくれている。
思うところあって,この差戻し上告審の段階から私自身も訴訟代理人として参加し,九州弁護団とはやや別個の観点から上告理由書と上告受理申立理由書を作成し,提出することとした。それがこのファイルである。

2 有明海漁民ネットについて

一連の訴訟の原告団として闘っている漁民達の中心となっているのは,有明海漁民ネットのメンバーである。
有明海漁民ネットが有明海沿岸4県(福岡,熊本,長崎,佐賀)の漁民800名を集めて結成されたのは,2001年8月19日である。
私は,2000年秋頃から諫早湾干拓問題にかかわるようになった。そこでまざまざと見せつけられたのは,4県漁連,その構成員たる単位漁協の惨憺たる敗北の歴史であった。すでに“ギロチン”はおろされ,諫早湾は干上がり,有明海の荒廃が始まっていた。
漁連や漁協は,強いときは強いが,一度政治や行政にからめられてしまうと,からきし無力である。これら有明海の漁連や諫早湾の漁協は,わずか数百億の“雀の涙”の補償金と引換えに,“宝の海を売って”しまった。当時の金にして数百億円といえば,大きな金額に見えるだろうが,有明海の“資源としての価値”を,今風に収益還元方式(DCF方式など)で元本を計算すれば,数十兆円,数百兆円,いな数千兆円はくだらない。なにせ,諫早干拓堤防構築前のタイラギ漁の漁師は,はるか昭和30年~40年代においてすら,一人当たり年間2000万円の水揚げを誇ったのである。島原の漁民は,アナゴやクルマエビで同じような漁獲高を誇った。
“漁師は海の守り人”である。私は考えた―これから続くであろう厳しい戦いを考えるならば,まずは闘う主体としての“組織”を創りあげる必要があると。
“有明海はひとつ”なのに,現実の漁民達は,県漁連単位,漁協単位で意思決定を拘束され,身動きが取れない。県漁連や(単位)漁協がひとたび「機関決定」「組織決定」で海を売り飛ばしてしまえば,なすすべもない。
そこで,私は,諫早湾内の小長井漁協の元組合長であった森文義氏(故人)と相談して,漁連や漁協に縛られることなく,漁師ひとりひとりが自らの自由な意思で参加し,行動するための有明海沿岸4県の合同組織を起ち上げることとした。

「有明海はひとつ。沿岸4県漁民は団結せよ。」

と呼びかけ,2001年5月GWを全部つぶして,森氏,支援者の市民ボランティアとともに,有明海沿岸4県の漁業者やその関係事業者のところを廻った。焼酎を酌み交わしながら,有明海沿岸4県漁民ひとりひとりの個人参加による組織結成の意義・必要性を,夜遅くまで語り明かした。
準備大会を経て,正式に組織が結成されたのは2001年8月19日である。諫早公会堂に500~600名の漁師が集まった。
この組織は,漁民が中心でありつつも,ことの性質上,学者・研究者の支援が不可欠であり,ボランティアの市民の参画が必要であった。このようにして結成されたのが「有明海漁民・市民ネットワーク」である。

3 貴重な地球資源を食い潰す巨大公益事業はなぜ生まれ,なぜ止まらないか

諫早湾や有明海は,日本国内はもちろん,国際的に見ても稀にみる漁業資源・天然資源の宝庫であった。“宝の海”と呼ばれたゆえんである。
減反の時代に海をつぶして農地を創ろうという,余りにも愚かな国策を見直すチャンスはいくらでもあった。世の中が増反から減反へと移りいく中で,「農地造成」目的の干拓事業から「防災」目的の干拓事業へと質的転換を余儀なくされながら,なお,これを建設省・国土交通省ならぬ農林水産省がやり続けるという皮肉な事態への転換は,ことの本質を見直す重要な転換点だった。
なぜこのような愚かなことが起きるのか。実はそれは,日本の戦後の地方の政治・行政と地元住民のあり方に深くかかわっている。
私がこのことを痛感したのは,自分の故郷である島根県において衆議院選挙を闘い,衆議院議員として活動した体験のなかである。
農林水産省は,干拓事業のみならず,ほ場(農地)整備事業や農道,果てはトンネル建設まで,巨額の農業土木事業を保持している。農水省官僚はこれを維持し,拡大させるために懸命な努力をする。これに群がるのが,衆参議員や多数の地方政治家である。なぜか――それにより巨大な集票マシーンが稼働するからである。このような農業土木事業のバラまきにより,あまたの農業土木事業者が潤う。この農業土木事業者は多数の関連産業や従業員を抱えており,地方の有力産業である。これにより「地元経済」「地域経済」が潤うというわけである。これが「地方経済の活性化」の正体である。
そして,この巨大な集票マシーンは,また集金マシーンとして,これに尽力する国政政治家や地方政治家を支える。県知事や市町村長という地方の政治・行政の頂点に立つ者がこれに全面協力する。そして,国の行政官僚がその中で中心的役割を果たす。

4 地方衰退・国力衰退の真の原因

しかし,このようなことで地方経済が活性化するわけがない。地方の貴重な天然資源は枯渇し,国土の力は衰退する。国・自治体の財政事情の悪化とともに“カンフル注射”を打ち続けられなくなった地方経済は確実に衰退し,人口はどんどん減少し,極端な高齢化と過疎化が進む。それはわかりきったことだった。島根県の人口もやがて“半減”するだろうと私は言い切った。
私は,政治家としてそれを阻止したかった。中海干陸問題というのはそのための貴重な闘いの場となった。
私は,日々衰退していく地方経済を目の当たりにし,新たま産業政策の構築が必須と考えた。貴重な天然資源の活用とIT技術の活用とを結びつけ,新たな産業モデル構築の必要性を提唱した。
当時,国政与党の一翼にあった私は,中海本庄工区干陸を阻止したが,それは問題解決のほんの一歩に過ぎない。スサノオノミコトとヤマタノオロチ伝説と国引き伝説の斐伊川水系における

「水資源ビジネスパーク構想」

を提唱した。

詳しくは,岩波新書「公共事業は止まるか」の96頁以下の拙稿をご一読いただきたい。

5 新たな資源政策・産業政策の構築

上記の上告受理申立理由書でも述べたように,今や「地球全体が巨大な閉鎖水域」であることが誰の眼にも明らかとなった。
しかし,これに対し,SDGsとか脱炭素というのは,工藤尚悟国際教養大学准教授が指摘されるのは,所詮「たんなるツール」でしかないということである。私に言わせれば“弥縫策”である。
抜本的対策のためには,地球(資源)の有限性を踏まえた抜本的な資源政策・産業政策が必要である。

6 有明海諫早湾干拓問題について

農林水産省,これと二人三脚を組む国政・地方政治家,これを支える地元事業者,それらを支持する住民―この三位一体ならぬ四位一体が,かくも愚かな政策の遂行に関与している。
これを廃し,新たな時代の到来を切り拓こうとするほんのささやかな試みのひとつ――それが有明海諫早湾干拓堤防開門訴訟である。
ご支援を請う。

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