2023年1月12日 第11号 制度への物神崇拝を捨てよ(その3)―「小選挙区制度」から「民主主義と専制主義の“対立”,そしてグローバルサウスとは何か」まで―(続き)
Man Voiter Putting Ballot Into Voting box. Democracy Freedom Concept

以下は前号(第10号)からの続きである。

⑶  現在の“野党再編成”論について(続)

ところで,かつての(旧)民主党が「政権交代」を半ば自己目的化したことへの反省からか,現在の混迷する野党の再編成の方向付けについて,真摯に再検討すべきだという議論がないわけではない。これはまた(旧)民主党の分解以降長く続いてきた野党の混迷状況への深刻な反省であろう。ようやくにして,「国家像(国家ビジョン)」=「綱領」のあり方が問題の核心であることが意識され始めてきたという点では,おおいに歓迎すべきことではある。

このような政界再編成の対立軸=対抗軸の設定について,今となってはさすがに「社会民主主義」対「新自由主義」という対立軸を想定する議論は見られないが,その変型とみられるべきものはある。たとえば,ある論者は,「個人重視・支え合い社会の実現,現憲法重視ないし立憲主義」対「国家重視・自己責任社会の追求,現行憲法の改正」を対立軸として想定する(田中信一郎・千葉商科大学准教授)。

これは,小選挙区制下での自民党が小泉政権下において「構造改革」というスローガンのもとに「規制緩和」を進め,競争原理の新たな導入に熱心であったこと(私は,かつての街頭演説や年賀状で,この小泉改革を「強い者を益々強く,弱い者を益々弱くするもの」と批判した。),続く安倍政権がその経済戦略を基本的に踏襲するとともに,国権主義的傾向をやや強め,憲法改正を悲願として大きく掲げたことなどから想定された対立軸であろう。

このような対立軸の設定に一定の意味があることは私も否定しない。しかし,このような対立軸の設定には,ふたつの点での限定が必要となる。

ひとつは,この対立軸の設定には,文明史的転換期の到来という観点が希薄であり,ためにどのような産業政策体系を創りあげるかというもっとも根源的な問いかけが欠落していると思われるからである。即ち,「個人の尊厳」「「多様性の承認」等々の「人間的価値の尊重」をあくまで(政治的)諸制度のあり方として,即ち俗にいう“上部構造”の問題として捉えているように見受けられる(そもそも,生産様式を下部構造と,政治制度を上部構造と,切り分けたマルクス主義においても,実は資本主義的生産様式から社会主義ないし共産主義的生産様式への変遷の本質は両者ともに「(政治)制度の改革」であり「上部構造の変革」でしかなかった! それがマルクス主義の歴史的限界というものであろう。)。しかし,産業政策体系の根源的転換なくして“全き人格の実現”はあり得ない(私見によれば,たとえば少子化対策といえども,そのための様々な“公的支援の充実”などというのはたんなる弥縫策にしか過ぎない。島根という“ド田舎”で人口減少,過疎化の克服を重要な政策課題として闘ってきた私にとって,日本の地方の現状は,“未来の日本”そのものであり,第一次産業を含む産業政策体系の抜本的転換こそ至上命題であった。私が中海干陸問題の解決策として,水理工学とIT技術を結び付け,水の循環システムの解明と構築を目指した「水資源ビジネスパーク構想」を提唱したのもそのような観点であった。)。

もうひとつの限定は,この対立軸の設定が自民党が新自由主義的政党へと大きく傾斜ないし“純化”していくことを暗黙の前提としているように思えるからである。確かに「新自由主義」は,前述したように,競争原理の極大化を旨とする資本主義の原理と親和性を持つことから,「新自由主義」を標榜する政党が今後も根強く生き延びていくことは事実であろう。しかし,日本の自民党がそのような「新自由主義政党」へと純化・特化していくという想定が正しいかどうかはまた別の問題である。

具体例をあげて考えてみよう。たとえば安倍氏が所属していた「清和会」は「新自由主義」の政治集団であろうか。実はそんなことはない。確かに清和会には現行憲法改正や強硬な対外政策を主張するやや誇張された保守派のイメージがつきまとうが,それではその経済政策ないしその関連分野の政策では「新自由主義」の徹底で一致しているのであろうか。

2010年3月,清和政策研究会により「新しい旗を掲げた自民党の再生とは」と題する中間報告が発表されている。これは2009年8月の総選挙で民主党が圧勝し,自民党が野に下った直後のものであり,「今まで,自民党の旗は何かという事が明確ではなかった。その旗を明確にする事が自民党の再生につながる。」(下村博文・清和政策研究会政策委員長)として発表されたものである。その意味で清和会が自らのレーゾンデートルを突きつめようとしたものであることは間違いない。

この報告の冒頭に町村信孝・清和政策研究会・会長の報告が載っている。ここでは「保守主義の課題とは何か」という問題設定のもとに次のように語られている。

「では,保守主義あるいは本当の自由主義に問題もないかというと,そうではない。保守主義は,競争や自由ということを重要視するが,そこには個人の自律や,市場を支える規範,道徳や伝統,あるいは家族などの共同体というものが前提とされている。それらがなくて,ただ単に自由主義だと言うと,弱肉強食の悪しき自由主義になっていく。

小泉改革を・・・(中略)・・・ある意味では弱肉強食的部分が表に出て,そういうことが小泉改革批判につながったと思う。」

これだけ見ると,小泉改革の行き過ぎが下野をもたらしたということからくる反動ともとられなくはないが,発表後の「質疑応答」ではこの点かなり踏み込んだ問答がなされている。

「質問 競争を肯定して,フェアな競争に耐えるための自立した個人,自立した国というものをつくっていくことが保守ではないのか。」

「質問 ・・・(前 略)・・・だからアメリカ型の市場原理主義をめざすのではなく,すべての政策を日本の家族や地域を守るといった観点から見直す必要がある。」

「質問 行政的に小さな政府を目指すのは当然。ただし,どの程度の福祉をするかということについてはコンセンサスを得ておく必要がある。」

「町村会長 フェアな競争を肯定するのはその通りだと思う。一定のルールに基いた競争は絶対必要で,保守主義と何ら矛盾するものでもない。
ただ,小さな政府といっても,ナショナルミニマムという言葉もあるように現実にどこまで小さく保てるのか難しい。しかし,小さな政府を志向しておかないと瞬く間に大きな政府になってしまう。その説明は難しいが,政策論の中で解決していけばいいと思う。」

このようにみてくると,大変失礼な物言いながら,清和会は自らの立脚点を探しあぐねて闘っているように見え,“迷える清和会”といわざるを得ない。また,別の意味では,これまで繰り返し述べたように,自民党というものが良くも悪くも“五目鍋政党”であり,その融通無碍さが自民党の強味でもあり弱味でもあるということが理解されるのではないか。

この議論で欠けているのは,戦後高度成長を支え,或いはそれを前提とした諸政策がもはや有効性を持ち得なくなったことをどう見るかという視点である。

いずれにしろ,現実の自民党が「新自由主義」の政党に純化していくという想定は現実的ではない。もっとも,前号で述べたように,小選挙区制下で自民党がある意味で“均質化”し,その分硬直化していくこと,その反動として前後左右への拡幅が大きくなっていく虞れなしとしない。

しかし,それは「新自由主義」への特化ではない。

最も大切なことは,文明史的転換を迫られている人類が来たるべき時代をどのようなものとして捉え,どのような「国家像(国家ビジョン)」=「綱領」を創りあげていくかということであり,その核としての産業政策体系並びにそれを支える科学技術政策体系をどう創りあげていくかということである。その先にこそ政界再編成の途は拓けてくるのである。

3 小選挙区制度導入のもたらしたもうひとつの問題点

小選挙区制導入の結果,政治家がどんどん小粒になったとよくいわれる。個々の政治家(国会議員)の個性がなくなってしまったのは事実であろう。政治家が皆“金太郎飴”のようになってしまった。そして,党の中で論争が行われなくなった。百家争鳴の党でなくなってしまった。

「政治改革」の結末を嘆く多くの人々は,この点を把えているのではないかと思われる。

このことは,「政治改革」を支持した多くの人々にとっても予想外のことではなかったろうか。小選挙区制の導入に根本から否定的だった私も,当初は予測していないことだった。最後の中選挙区制を闘い,最初の小選挙区制を自ら闘って初めて実感したことだった。

政治家が個性を失い,悪い意味で均質化し,パワフルでなくなったことは,小選挙区制度の導入と深い関係がある。

それを最も如実に示したのが小泉政権下の「郵政改革選挙」だった。小泉郵政改革に反対する自民党候補者に対しては,たとえ現職の有力議員であったとしても,党の公認が与えられず,あまつさえ“刺客”が差し向けられた。無所属で選挙を闘いかろうじて小選挙区で生き残った“守旧派”“造反組”もいたが,多くの者が破れた。小泉氏の「郵政」解散・総選挙戦略は大成功をおさめた。小泉政権は,小選挙区制度下での“党営選挙”“官邸主導型選挙”の利点を最大限活用したものとして絶賛された。

そのようなことがなくても,小選挙区制下では党の公認が得られなければ勝ち上がることは難しい。公費の支給,様々な選挙ツールの利用等々選挙制度上様々な点で党の公認候補と無所属候補では圧倒的な差異が設けられているという技術的側面のみならず,たったひとつの議席を争う小選挙区制では,党の公認候補が圧倒的に有利である。ましてや,無所属では比例選復活もあり得ない。

その結果,小選挙区制下では,党の方針に逆らうことは不可能,少なくとも著しく困難である。即ち,官邸ないし党の中央の顔色をうかがうことに汲々とするようになる。ましてや,所属政党の政策を批判し,自己の政治信念・政治理念を高く掲げて選挙戦を闘ったり,当選後にそのような活動を行うことなど論外ということになる。

そんな状況下で個性あふれる政治家,信念ある政治家,パワフルな政治家,未来志向の政治家など登場するわけがない。また,党内論争は貧弱なものとなり,百家争鳴などあり得ないことになる。激しい論争を闘わした末のアウフヘーベンもあり得ないことである。

前号で小選挙区制下で自民党がある意味で“均質化”し,その分“硬直化”し,“柔構造”から“剛構造”へと変質しつつあるのではないかと述べたが,これは政治家の質の低下と内在的関連がある。

これが今日の政治(家)の活力の低下の本質である。

これに比し,中選挙区制下ではどうであったか。党の公認を得られなくても,即ち過半(50%以上)の得票率を得られなくても,17~18%の得票率さえあれば当選することができる。

だから私のような地盤・看板・鞄の“三バン”の全くない者でも,ポッと出の無名の新人でも,選挙への出馬を決意することができたし,所属政党なしの“保守系無所属”を自称して選挙戦を闘うことができたのである。そして,「人類三つの危機と闘う政治家」を豪語(大言壮語)して出馬した無名の新人をうけいれてくる17%の有権者が,竹下王国といわれ超保守的といわれた島根にも現実に存在したのである(ちなみに,私は“新党ブーム”に乗って当選したのではない。私は無所属で出馬準備するにあたりどうしたら当選できるか必死に考えた。その結果,県下59市町村に万遍なくエネルギーを注ぐのではなく,一定の地域に的を絞ってそこで徹底的な地盤固めを行うという戦略をとった。そして,竹下王国の拠点といわれた島根県中部にある2つの市のうち,ひとつでは竹下氏に圧勝し,ひとつではほぼ互角に闘った。つまり,一定の地域で既存の保守大物陣営を圧倒する大量得票を得ることによって当選したのである。但し,島根県下59市町村の内の大半では私の得票率は5%以下,甚しきは3%以下で,泡沫候補同然の結果だった。“新党ブーム”の結果であればそのようなことはあり得ない。)。

自分でいうのもおこがましいことではあるが,私が国政選挙への出馬を決意した平成4~5年頃は,人類は文明史的転換を迎えているというのが私の認識であり,そうであれば新しい時代を切り開き,そこを駆け抜けていこうとする同じ志を持った人々が必ずやどこかにいるはずだと確信していた。粗削りでもよい,そのような高い志を持った同士を探し求め,その人々とともに「新しい党」「新しい世界観をもった党」を創ろう,そのためには今は無所属でもよい,今は少数でもよい,10年もかければ私の夢が実現できるはずだ――それが私の信念であり,強い志であった。

中選挙区制下では“悪貨”も生むが“良貨”も生む。悪貨が良貨を駆逐するか? それともその逆か?―それを決めるのは新しい時代を創りあげようとするその政治家(集団)の質と国民の質にかかっている。

ところで,周知の如く,中選挙区制は廃止され,私の2度目の選挙は小選挙区制下のそれとなった。島根県は3つの小選挙区に分断された。多くの人々が闘いやすい別の選挙区(当時の島根1区または島根3区)を選ぶように勧めたが,私は最も強大な相手である竹下登氏との一騎打ちを選んだ。別に粋がっていたわけではない。私は,「政治改革」という名の小選挙区制導入により私の想い描く日本の政界再編成はもはや絶望的になったとひどく落胆していた。ならば,戦後高度成長=利益分配型政治の当時の権化・象徴ともいうべき竹下登氏を小選挙区(当時の島根2区)で倒し,日本の政界に風穴を開け,もう一度新たな状況をゼロから切り拓くしかない―そのように考えたわけである。

このことは,いずれ連載を予定している「日本の司法制度改革は錦織峰子の大粒の涙とともに実現した」シリーズで詳しく述べる所存である。

4 制度への物神崇拝の本質は何か

今日の小選挙区制下では,個性のある政治家,パワフルな政治家は出てこない。二大政党制のモデルとされるイギリスでは「バックベンチャー(Backbencher)」という言葉がある。議会の議場の後ろの方に陣どる“その他大勢”の陣笠議員のことである。日本でも,小選挙区制のもとで“数の論理”を支える“その他大勢”の物言わぬ国会議員が大量に生まれた。その典型例がいわずと知れた“小泉チルドレン”である。

中選挙区制下では続々誕生したはずの“物言う政治家”はもはや誕生しない。ましてや政界再編成のいばらの道を切り拓く“一騎当千”の“荒武者”政治家の誕生など望むべくもない。

少々“政界が浄化”されたといっても,これでは余りにも失うものが大き過ぎはしないか。なぜこんなことになったのか。

新たな「国家像(国家ビジョン)」の確立,「綱領」の問題はさておくとしても,ここに欠けていたのは,

『制度の担い手はいるか,それは誰か,それはどこにいるか』

という最も肝心な点への考察である。

いかなる制度を創っても,それを担うにふさわしい主体(担い手)が存在しなければそれは無力である。“仏を作って魂入れず”というのと同じである。

ここで担い手というのは2つの平面で問題となる。ひとつは「党」であり,もうひとつは「人=政治家」である。まず,二大政党制を理想として夢見るのであれば,それにふさわしい担い手=政党が必要である。どこを探せばその二大政党がある(あった)というのか。

また,より本質的には,「政治改革」の背景に戦後長らく続いた日本の自民党政治に限界が到来したという事情があるというのであれば,その限界の本質とは何か,そして次の時代を担う政党とはどのようなもので,それはどのようにして創られるのか―それを創るのは,まず何よりも“人”ではないのか。その“人”はどこにいるのか,それをどうしたら発掘・育成できるのか―それが肝心ではないのか!

小選挙区制であろうと中選挙区制であろうと,はたまた比例代表制であろうと,制度自体のあり様(よう)を観念的にいじくりまわしても無意味であり,有害無益である。どのような政党がその制度の中で育つのかが大切であり,そしてもっと大切なのはそれを動かす人=政治家がどう生まれ,どう育つかであり―中長期的にみればそれがもっと大切である。

担い手たる政党不在のまま二大政党論を夢見た「政治改革」,担い手たる一騎当千の政治家不在のまま進めようとした「政界再編成」―いずれも机上の空論でしかなかった。

それが“制度への物神崇拝”が創り出した日本の悲惨な現状である。

(以下,次号に続く。次号は「民主主義と専制主義の“対立”そしてグローバリズムとは何か」がテーマである)

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