2023年3月2日 第12号 制度への物神崇拝を捨てよ(その4)―「小選挙区制度」から「民主主義と専制主義の“対立”,そしてグローバルサウスとは何か」まで―(続き)
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1 新自由主義とは何か

前号の配信のあと,ある読者の方から「新自由主義の理解が違うのではないか」とのご返信をいただいた。新自由主義経済学の代表的存在であるハイエクの「隷属への道」などを引用しながらの貴重なご指摘であった。

私は,これを拝見し,2つの点でおことわりが必要であると感じた。

一つは,これまで私は「新自由主義」とは何かということにつきその定義を明らかにしないまま論述を進めてきたということである。

もう一つは,前号で私がかつて「小泉構造改革」を「強い者を益々強く,弱い者を益々弱くするもの」と批判したと書いたことで,錦織は反「新自由主義」の強固な信念の持主ではないかと“誤解”(?)されたのではないかということである。

実は,この後者の点は小選挙区制度導入論の基本的欠陥の問題ともからむことであるので,「グローバルサウスとは何か」の問題に進む前に今少しこれらの問題について述べていきたい。

まず,「新自由主義」とは何かということであるが,実に多様な定義づけがなされており,ひとくくりにできない。また,経済学理論としても複数の異なったアプローチがみられ(たとえば,フリードマンのマネタリズムなど),単一ではない。新自由主義経済学の大御所であるハイエクとフリードマンの激しい論争に接すると,ある学者が「新自由主義という経済学理論はない」といったのも,むべなるかなという気がする。また,「新自由主義」そのものへの理解も歴史的に変容してきている。

フリードマンらに代表されるシカゴ学派が提唱した経済理論が,公共事業などの財政支出増大により有効需要を増大させる点でいわゆる「大きな政府」を指向するとされたケインズ派理論に基く政策を批判し,国営企業の民営化や規制緩和を中心とするその後の経済政策に大きな影響を与え,これを主導することとなったことは,おおかたの異論がないであろう。

その意味で,これまで私が述べた「新自由主義」というのは,あくまで1980年頃に台頭したイギリスのサッチャー,アメリカのレーガンが主導した政策,日本の中曽根康弘らの進めたいわゆる「小さな政府」を目指す諸政策を指すという意味合いで,いわば歴史的なものであり,政界再編成論議にからむ国家のあり様を巡る路線対立の概念として用いている。

2 小泉「構造改革」について

小泉「構造改革」の“目玉”は「郵政改革」である。いうまでもなくこれは国営企業の民営化であった。しかし,これはいってみれば“一周遅れのトップランナー”の議論であり,私にとっては「それがそんなに大切なことなのか」という感じであった。このことについては別の機会があればふれたいと思う。

しかし,私が小泉「構造改革」で我慢できなかったのは,私が「小泉―竹中―木村ライン」と名付けた金融政策,なかんずく金融機関の不良債権処理問題に関する政策であった。この政策の失敗のおかげで,どれだけ多くのまともな中堅企業が泣いたことか。特に木村氏の言動はひどかった。こんな間違った金融政策が「構造改革」や「規制緩和」の美名のもとに許されるはずはないと考えた。

このことは私の「日本経済再生論」(2003年9月明石書店)に詳しく書いた。

いずれにしろ,私の小泉「構造改革」批判は,その具体的政策の当否をめぐってのものであり,「新自由主義」一般を批判するものではなかった。

しかし,今となっては,このことはそれほど重要な問題ではない。

むしろ,私と小泉構造改革には,ある種の共通性があった。それは「既得権益」の打破を巡る問題であった。小泉氏は「自民党をぶっ壊す」と言って国民の拍手喝采を浴びた。郵政改革を含む小泉構造改革はそれまでの自民党内主流派であった竹下派に大打撃を与えた。

私も初の小選挙区導入下で,敢えて竹下登氏との一騎打ちを選んだ。ここでの私の闘いの相手は,全県下に張り巡らされた「既得権益」のネットワークであり,これは地方自治体の政治・行政と強固に結び付いた“巨大な集票マシーン”でもあった。

日本の高度成長は,ある意味では地方の人的資源(マンパワー)をはじめとする様々な資源を吸い上げることによって成立した側面がある。そして,地方経済のみならず地域社会そのものが解体させられていった。巨額の地方への補助金行政や巨額の地方への公共事業の大盤振る舞い,農業の補助金漬けは,その“罪滅ぼし”であった。そこに国政政治家,地方政治家が蜜に群がる蟻のように引き寄せられていった。これら補助金や公共事業は全て地方自治体を通す。これによる“受益者”たる各事業者がおり,そこで働く人々がいる。三位一体ならぬ四位一体の強固な「既得権益」のネットワークが張り巡らされたのである(ちなみに,中海干陸問題や諫早湾干拓問題は,その一つの顕われであり,単に過去の政策と決別するだけでなく,21世紀以降の新たな産業政策,資源政策を展望するものである。スサノオ通信第7号参照。)。

その意味で,“「ぶっ壊さなければならない」”対象は私と小泉氏は同一であったといえる。

ただ,“ぶっ壊し”た後に展望するものが,私と小泉氏とでは決定的に相違していたと思われる。

前号でも述べたように,過疎化と少子化がどんどんと進行していく地方の現状は,私にとって“未来の日本”そのものであった。

それに対し,既得権益を廃した後競争原理を導入し,新規参入を促せばそれにより地方(経済)が活性化するであろうか。それにより極端な過疎化,高齢化,少子化が止まるであろうか。どう考えてもそんな楽天的な展望は持てない。むしろ,更にそれが加速するだけではないだろうか。

もっと原理的な転換,即ち私の唱える「文明史的転換」が求められているということである。なぜなら,過疎化,高齢化,少子化をもたらす要因はもっと根深く,ことは人類の生産様式・生活様式のあり方の根幹にかかわることだからである。

ちなみに,亡くなった私の妻が創ったMINEKO SCHOOLのあるパキスタン北部山岳地帯,カラコルム山脈の麓のPASSU村でも同じような現象が進行しつつある。とても考えさせられる。やはり,問題の本質は「文明論」と分かち難く結びついている。

3 「政治改革」=「小選挙区制度導入」=「金権腐敗政治打破」というレトリックの落とし穴

ただ,この「既得権益の打破」という問題は,「政治改革」という名の「小選挙区制度導入」の成否について重要な論点を示唆する。

小選挙区制度導入論の最大の根拠は,中選挙区制度のもとでは,派閥政治が横行し,金権腐敗政治が横行するというものであった。

この前者の点はともかく,後者の点は全くの的外れであるといわなければならない。

私が闘った“竹下政治”というのは,“金権腐敗”といういわば政治・行政の“周辺事情”が問題であったというよりも,それが我が国経済が不断に“富”を生み出すことを所与の前提として,その「富をいかに分配するか」ということに汲々としていたことにその本質的欠陥があった。“金権”というのは,その分配に対する対価(仲介手数料)としての政治資金や票の収受であったというに過ぎない。

しかし,もう昭和の末期においてすら早くも「日本経済が不断に富を生み出す」という大前提に立つことはできなくなっていた。つまり,従来の政策が通用しなくなりつつあった。―では,どうしたらいいか―それが問題の核心であった。

問題は選挙制度の是非などという矮小な問題ではなかった。中選挙区制度に罪を着せるというのは,お門違いというものである。

地方の過疎化・高齢化・少子化の極端な進行は,何度も申し上げるように現代日本の縮図であるとともに,日本の未来を示唆するものである。

私にとってそれは,人類が今や文明史的転換を迫られているという,そのほんの一場面に過ぎない。

小選挙区制度導入の問題は,ここまでとし,次号では最近の月刊「文藝春秋」に載せられたある論稿を基に持論を述べたい。

グローバルサウスの問題はさらにその後としたい。

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