2022年12月28日 第9号 制度への物神崇拝を捨てよ―「小選挙区制度」から「民主主義と専制主義の“対立”,そしてグローバルサウスとは何か」まで―
Man Voiter Putting Ballot Into Voting box. Democracy Freedom Concept

古い制度を壊して新しい制度を創る―すると,バラ色の未来が見える―私たちはしばしばそう思ってきた。そして制度「改革」なるものを幾度となく繰り返してきた。

実は,少年の頃の私はそうだった。中学,高校と生徒会長だった私は,様々な制度改革を試み,実現した。そうすることにより,私は何か素晴らしいことを成し遂げたような気になり,誇らしげだった。しかし,それは幻想だった。制度を変えても中身が変わらなければ何の意味もない―そんな当たり前のことに気づいたのは,成人してから,それもずっと後になってからだった。

1 小選挙区制度の導入に学ぶ

先年亡くなられた園田博之さんは,生前会うたびに「小選挙区制は失敗だった」「小選挙区制は失敗だった」と何度も何度も繰り返しておられた。

園田博之さんは,早くから自民党内の「政治改革派」として中選挙区制の廃止,小選挙区制の導入を強く訴えていた。そして,平成5年宮沢内閣の不信任案可決,衆院解散と同時に先般亡くなられた武村正義さんら10人の仲間とともに自民党を飛び出し,新党さきがけを結成した。その翌年(平成6年)初頭,細川内閣(さきがけ,日本新党,新生党など非自民8派連立政権)のもとで,小選挙区制を導入する「政治改革」が実現した。この8派連立政権の中心は上記の3新党であり,園田さんはその中心メンバーであった。その意味では,小選挙区制導入の信念の人であり,またそのために行動した人でもある。

園田さんは,その後村山内閣(自社さ連立政権)のもとで内閣官房副長官を務めたものの,平成11年には自民党に復党し,幹事長代理などを務めて活躍したが,平成22年に政界再編成を目指して再び自民党を離党し,「立ちあがれ日本」の結党に加わった。そして,太陽の党,日本維新の会,次世代の党などを経て,平成27年には再び自民党に復党した。自民党でも要職を占めた。

その間,中選挙区制時代はもちろん,小選挙区制下でも圧倒的な強さで熊本の選挙区で勝ち続けてきた。つまり,所属政党いかんにかかわらず,また選挙制度の変転にもかかわらず,勝ち続けてきた人である。従って,園田さんに限っていえば「自らの保身のためにどのような選挙制度がよいかを考える」という発想とは全く無縁の人だった。

このような極端ともいえる変転の歴史を歩んできた人だけに,この人の言葉には大変な重みがある。

その園田さんが,小選挙区制度の導入は失敗だったと,しみじみ語るのである。「政治改革」の美名のもとに行われた小選挙区制の導入が,日本の政治にいかなる悲惨な結果をもたらしたか,園田さんは身をもって,しかも嫌というほどこれを日々体験したのである。

小選挙区制度を導入したのは失敗だったと繰り返し語る園田さんに,私はその理由をきいたことはない。きかなくてもそれこそ嫌というほど分かるからである。自民党にそのままとどまっていれば総理にでもなれたであろう人が,自民党からの離党と自民党への復党をなぜ二度も繰り返したのか。また,その間なぜ小さな政党を渡り歩いたのか―その行動こそが小選挙区制度導入後の日本の政党政治の混迷を表して余りある,ということである。

2 小選挙区制度導入の問題点

私は,小選挙区制度の導入には,端から否定的だった(後掲「神々の終焉」にはっきりそのことを書いた。)。我が国における小選挙区制導入の問題点をあげれば,大きくいって二つある。ひとつは,導入前から分かっていたことであり,小選挙区制度導入の致命的ともいうべき欠陥であり,また,それが私が当初から小選挙区制導入に反対していた理由である。もうひとつは,導入の結果,導入後に気付いたことである。

前者についていえば,政党ないし政党政治というものの本質がまるで理解されていなかった(今でも,理解されていない?! )ということである。中選挙区制のもとでは,一つの選挙区から複数の国会議員(衆議院議員)が誕生することにより派閥政治が生まれ,金権腐敗政治が生まれる。これに対し,小選挙区制導入により「二大政党政治」が実現すれば,その二大政党が“政権交代”を繰返すことにより政治の質を競い合い,そこに緊張関係が生まれる―それが中選挙区制廃止,小選挙区制導入の理由であり,錦の御旗だった。つまり,これは,既存の制度へのたんなるアンチテーゼでしかなかった。

この考え方のどこに問題があるのか? まず最大の問題は政党(政治)というものの本質についての原理的・理念的考察が欠けていたということである。「(現代の)政党とは国家なり」,少なくとも「国家たらんとするもの」というのが私の政党観である。政党がたんなる異議申立て政党に自己限定してしまうというのでなければ,政党は国家権力の掌握を目指す。当然,国家権力の掌握が自己目的化されるべきものではないから,そこに必要なのは「いかなる国家を創るのか」という国家像(国家ビジョン)であり,それが「政党の綱領」」である。

とりわけ,私が政界への進出を決意した平成4年から平成5年頃には,日本のみならず世界全体が“文明史的転換期”を迎えていた―少なくとも私はそう確信していた―だから,私は国政選挙への出馬にあたり「神々の終焉」という本を著し,“人類3つの危機(環境,核,南北問題)と闘う政治家”を目指すと宣言したのである。当時は,まだ地球人類全体が文明史的転換期を迎えているという認識は一般的ではなく,日本のみならず世界中の人々がそのことを意識するようになったのは,コロナパンデミックを体験してからである。

しかし,たとえそのような文明史的転換期の到来を意識せずとも,「政治改革」を唱える人々が問題にしていた金権腐敗政治横行の根本的原因が政党政治家のたんなる心構えによるのではなく,爛熟期を迎えつつあった戦後の日本の経済成長・発展が上部構造としての政治にストレートに反映したものであることに思いを馳せるならば,時代が国家のありように抜本的な転換を迫っていたことは明らかであった。

つまり,高度成長期を経た日本の政治は,不断に生み出されてくるあり余る富をいかに「分配」するかに汲々とした。しかし,時代はそのようなことを許さなくなっていた。どうやって富を生み出す新しい産業構造をこの日本に創り出すのかが問われていた。そして,それよりもっと深刻なことは,地球の有限の資源を喰いつぶす従来型の産業構造がもはや通用しなくなりつつあるということだった(このことは,水俣病患者が自らの生命と健康を犠牲にして地球の有限性を告発してくれたことと,私にとっては内在的関連があることは,スサノオ通信の読者ならご理解いただけるものと思う。)。

政治(家)の最も重要な基本的役割が,「国民がいかにひとしく飢えずに食べていけるか」「国民がいかに安全に暮らしていくことができるか」であるということを考えれば,もうひとつの政治のテーマは安全保障ということである。戦後世界の冷戦構造を背景にした古典的な安全保障論が時代にふさわしくないことは明らかだった。

私が中東アラブ世界を訪ねるようになったのも,「戦争」というものに真正面から対峙したかったからであり,日本が極東アジアだけでなく世界の安全保障にどのような役割を果たすべきか模索するためであった。

いずれにしろ,このような転換期を迎えた戦後日本の政党政治が大きなピンチに立っていたことは明らかであり,次の時代を担う政党としてどのような「国家像(国家ビジョン)」を見出し,そのためにどのような「綱領」を創るのかが問われていたのである。

しかし,小選挙区制導入論者の「二大政党」論は,このような視点をまるでもっていなかった。どのような異なる「国家像」=「綱領」をもった二つの政党を新たに創り出すのか―という観点は完全に欠落していた。とにかく小選挙区制度を導入すれば,なかば“自動的に”二大政党が生まれるという―なんともはや,極端に能天気な楽観論であった。これを今はやりの右派がリベラル左派を非難するときにしばしば貼るレッテルを用いれば,“お花畑”のような憂き世離れした楽観主義ということになろうか。

では,現実はどうであったか。また,どうなったのか。この小選挙区制度導入=二大政党制の実現が想定していたのは,自民党に対抗するもうひとつの大政党を対抗勢力として創るということであった。しかし,現実に存在する自民党は,理念も政策も異にする政治家が寄せ集まってできた“五目鍋政党”だった。問題が発生すれば内部で疑似的な政権交代を実現してでも生き延びることのできる政党だった。

そして,これに対抗することを想定して創られたもうひとつの大政党=(旧)民主党は,これまた異なる理念と政策の“寄り合い世帯”だった。

このようにして小選挙区制導入=政治改革によって創り出された二大政党制の現実は,“五目鍋政党が二つ”誕生したというに過ぎない。そこにどんな違いがあるのか―せいぜい“味噌味”か“塩味”かという程度の違いに過ぎない。別のへたな比喩を用いれば,「社長派と専務派のどちらの経営陣に経営を任せたら会社がうまくいくか,それを競い合わせてみたらよい」という程度の違いであるといっても過言ではない。

言葉を換えれば,現実を無視し,二大政党制という“器”に合わせて無理矢理二つの大政党を創るというものであり,肝心な“二つの器にどのような内容を盛り込むか”は度外視された。

これでうまくいくはずはない。対抗勢力たることを想定され,期待された(旧)民主党が「政権交代実現と同時に崩壊」したのはたんなる偶然ではない。

制度ありき,制度改革ありき―制度さえ変われば自動的に中身がついてくる―それは幻想でしかない―そのことを「制度への物神崇拝」だと声を大にして言いたいのである。

たとえば,USAのように政治理念の異なる共和党と民主党という二大政党が拮抗しているという“現実”があれば,二大政党制もそれなりの存在根拠と意義を有する。しかし,日本の自民党自体特定の系統だった政策体系や理念を持たないところに特徴があり,それが強味でもあり,弱味でもある。これに対抗するどのような「綱領」をもったもうひとつの(大)政党を創るのか―その根本的理念こそ必要だったのである。ましてや,範とされたUSAでさえ,二大政党制は曲がり角に立っていると言われているのである。日本が“一周遅れのトップランナー”になってどうするのかということである。

小選挙区制度の導入という「政治改革」がもたらしたもうひとつの悲惨な結末は,政治家が活力を失った,政治家が小粒になったということである。これは多くの人々がすでに指摘しているところであり,私もこの制度導入後に気づいたことである。これ自体が予期せぬ深刻な事態である。

このことについては,次号で改めて述べることとする。そして,この2つの問題(政党の「綱領」の問題と政治家の活力の喪失)には実は内在的に関連があることを明らかにする。

(以下,次号=新年号に続く)

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